75th Anniversary Memorial Book 1950年代、日本経済は戦後の混乱期を経て、朝鮮戦争の特需を機に急回復を見せた。自動車産業はこの時期に基盤を築き、トヨタや日産などが乗用車・トラックの量産体制を整備していった。 1950年10月25日付で資本金50万円、従業員数12名の規模で、日本電装(現デンソー)の工場の一角に設立されたのが「ニッポンボデー株式会社」、これが当社のルーツである。当時、日本電装が経営難を乗り切るために電気自動車の生産を始めたが、当社はその板金を担当する会社として産声を上げたのである。 その後、日本電装で電気自動車の生産が打ち切られると、その技術力を生かして多方面から板金業務を請け負い、仕事を確保する状態が続いた。1958年には日本電装からフラッシャの生産が委託され、続いてリレーの製造も請け負うようになりようやく事業が軌道に乗り始める。 創業10年目を迎えた1960年。従業員が増加したことから、刈谷市中山町にあった分工場を増築して本社工場とし、新たなスタートを切った。創立当時の中山工場(1956年頃)設立の契機となった電気自動車“デンソー号”第1章-108その挑戦は、工場の一角から始まった
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