第1章 1950-1999 ニッポンボデーからアンデンへ当社製ボデーが採用されたガソリン車第一号(1953年頃)増築され本社となった中山本社工場(1960年頃)当社がドラムを生産した日本電装のドラム式電気洗濯機1952年には月産1000台で全国一となった しかし、日本経済の復興と共にガソリンの入手が容易になったため、電気自動車の生産は50台で打ち切りとなった。それ以後、僅かにガソリン車用のボデーの生産をしたが、日本電装が家庭用洗濯機の生産に転じたため、板金技術を生かして洗濯機ドラムを製造するようになった。当時、「洗濯機といえばデンソー」と言われる程好調であったが、家電メーカーの進出により日本電装が製造権を愛知工業に譲渡することになった。 当社の業務もその後は日本電装の設備カバーを作ったり、鷲津製作所(現在の浜名湖電装)から仕事を回してもらったり、時にはバイクフレームを製造する名古屋の青山製作所に板金応援に出かけたりして仕事を確保する状況であった。尚、創業当初の板金業務は、1973年に刈谷機工が設立されたことで、当社の事業から切り離されている。09創業の出発点は、電気自動車から 1948年、トヨタで工長をしていた佐藤清(当社初代社長)が、同じくトヨタで組長をしていた森元次郎(後の当社2代目社長)の他、数名を引き連れてトヨタの試作請負会社を設立した。 ちょうどその頃、日本電装では経営難を乗り切るために当時ガソリン不足で主流になっていた木炭車に対抗すべく電気自動車の開発を決定。トヨタから大坂電気自動車株式会社に出向中の白井氏(後の日本電装社長)を取締役として迎え開発に着手した。その際、白井氏が協力を求めたのが当時親交のあった森元次郎であった。板金技術を有していた森らは日本電装の敷地内に分工場を設置させてもらい、電気自動車のボデー生産を受託した。その後この商売の目途が立ってきたので、1950年10月に佐藤清が社長となり「ニッポンボデー株式会社」を創業したのである。
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