第1章 1950-1999 ニッポンボデーからアンデンへFord Q1賞(1990年5月)リレー製品事業移管(記事引用:中部経済新聞 1990年12月)アンデン小唄(1985年3月)メインのA1リレーに替わるミニISOリレーのトランスファーラインが稼働開始(1991年7月) 当社も強く受け入れを希望し、両社の合意により1990年末を目途に移管することが決定した。日本電装内には一部に心配する声もあったが、当社の独立心や実力の向上、技術部門の総合力といった期待がそれを上回ると判断され、ついに実行に移された。 以降、約1年半の準備期間を経て、日本電装には商品企画、新製品開発機能を残し、その他リレー製造に必要な試作や品質保証、購買機能は当社に移管。1990年12月、事業の移管が完了し、日本電装からの期待を背負いながら、リレー専門会社としての本格的なスタートを切った。17日本電装から、念願のリレー製品事業移管へ リレー専門会社として、設計から製造まで一貫して手がけることは当社が長年抱いてきた夢であったが、その実現に向けた動きは1988年頃から水面下ではじまっていた。1989年の中頃になると、日本電装では90年代対応要綱に沿ってグループ会社の体質強化を推進したいとリレー事業の移管について本格的な検討を開始した。
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