デンソーエレクトロニクス 75年史
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 第1章 1950-1999 ニッポンボデーからアンデンへ これに対し当社では、1996年マレーシアでリレー生産を立ち上げ、続いて1997年米国テネシーでもリレー生産を開始した。また海外事業拡大には必須であるQS9000、ISO14001の認証を取得し、今後の事業展開をにらんだ準備を行った。加えて混沌とした事業環境の中、将来に向けた会社運営の指針として「アンデンビジョンAD2005」を策定し、会社としての方針を明確化した。このように新しい時代への対応を、多面的に進めていった時代であった。の採用を検討し、今後の成長が期待されていたアジア諸国、特にASEAN向け戦略機種においても、海外製のリレーやフラッシャの採用が見込まれていた。海外進出せず、国内からの輸出にとどまるままでは、自動車メーカーの求める海外生産化率の向上や価格戦略への対応において、明らかに不利な状況となる。 当社は、この現実を海外生産に踏み出す機会と捉え、現地生産を決断した。当初は自社での単独進出を理想としていたが、予想される販売規模から単独進出は厳しいと判断、デンソーの海外生産拠点のひとつであるマレーシア工場で生産することとした。マレーシアへの手組ライン移管に際し、海外事業推進部を発足した。現地スタッフへ技術、技能を確実に伝承するため、日本研修4ヵ月の後、当社社員の現地出張による指導4ヵ月を実施した。ライン移管後は、出向者2名が安定流動のため尽力した。わからないことばかりのQS9000の本審査を受ける(1997年5月)21グローバル化に対応し、海外での製造を開始 日本の自動車メーカー各社は、リレーの規格を長年採用していたJISからISOへと移行し、リレー製品の国際規格化が図られた。つまりは、日本車でも海外メーカーのリレーが装着可能となったのである。そんな中、米国における日本車販売は好調で、輸入規制危機ラインと言われる市場シェア30%に接近。米国政府は1995年の日米自動車交渉で、日本車の米国生産拡大ならびに日本国内で生産される自動車への米国製部品の装着を厳しく迫るという状況であった。こうした背景の中で、国際規格化されたリレーは、現地生産車用部品の現地調達率向上を目指す日本の自動車メーカーにとって、現地調達化検討の最優先部品のひとつとなっていった。 一方、国内で使用するリレーについては、歴史的な円高が続いていたことから海外メーカーが優位に立ち始めていた。自動車メーカーは一斉に海外製リレー

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