第2章 2000-2007 グローバル成長の時代アンデンタイランド オープニングセレモニー(2004年10月)タイ工場の中核となる人材であるため、事前に日本研修を3カ月間実施した。その研修の間、関係者一同現地スタッフとのコミュニケーションを密にし、困ったことがあれば当社スタッフがバックアップするという信頼関係を築いていった。 生産ラインは「異物=リレーの大敵」混入を避けるため、自動化ラインを前提として設計された。完全密閉で工場全体に空調を導入するという方針に対し、周囲からは「そこまでやるのか?」との批判めいた声も多かったが、「ことリレー生産では必須である」と、この品質第一主義を貫いたのである。 かくして、2002年8月現地法人が立ち上げられた。準備からわずか1年半後という極めてスピーディーな立ち上げであった。 このアンデンタイランドの設立は、現在に至るまで、様々な面で当社に良い影響を与えてくれている。現在のリレー世界4拠点ネットワーク体制の橋頭保であり、このネットワークは当社リレー事業の強みである。また、この海外初進出をきっかけに社内には本格的なグローバル志向が生まれ、多くの社員にとって人材育成の場となっている。 さらには、その後の中国生産、デンソー山形拡張プロジェクトを推進する中でアンデンの経験値として大いに活かされていったのである。29妥協なき品質第一主義を貫いた初の自社海外拠点「アンデンタイランド」 21世紀に入るとASEAN諸国は市場として、また製造拠点として世界の注目を浴びるようになった。2002年、トヨタも新たなグローバル事業としてIMVプロジェクトを立ち上げた。「海外市場専用車を海外のみで国際分業する」というこのプロジェクトの中心となった国がタイであり、タイから世界各地へ車両を供給するという構想である。2004年に生産開始、2006年には50万台/年が出荷される計画であった。 当時タイではすでに多くの日系サプライヤーが拠点を構えていた。一方で当社は、デンソーマレーシア、デンソーテネシーでリレーやフラッシャなどを生産していたが、そのいずれもデンソー拠点の間借りであった。当社と同じデンソーグループ企業であるアスモ(2018年デンソーと事業統合)や浜名湖電装はすでに海外工場を稼働させていた。当社も自前で海外展開し、グローバル企業に成長したいという考えのもと海外プロジェクト室を2002年初頭に新設した。指揮系統を思い切ってシンプルにまとめ、スピード感を持って拠点立上げを推進する体制だった。 最初にデンソーマレーシアを訪問し、当社はタイ進出を構想しており、マレーシアで生産中のリレーなどを移管したい旨を伝え了解を得た。さらにバンコク近郊にあるデンソータイランドのバンパコン工場で生産中の製品がインドへ移転するという話を聞き、その跡地を当社で使わせて欲しいと交渉、許諾を得た。 当社タイ工場での生産検討は部品の現地調達にこだわって進められた。品質レベルに合致する現地サプライヤーの発掘に苦労したが、デンソーマレーシア、デンソータイランドの協力も得ながら、着実に準備活動を進めていった。 出向者の人選にあたっては、将来当社の生産部門を任せられる人材の育成にも繋げることを念頭に、数名が選出された。当時の関係者が一番意識したのは「ローカルスタッフとの信頼関係を築くこと」であった。設立当初に採用した現地スタッフは将来的に当社
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