デンソーエレクトロニクス 75年史
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75th Anniversary Memorial Book仙台空港の被災写真(記事引用:山形新聞 2011年3月13日)(写真提供:毎日新聞社)被災した2号棟はんだ槽 一方、山形県に所在するマルコンデンソー(現デンソー山形、2008年に当社グループ会社化。詳細は後述)は、一段と困難な状況に置かれていた。工場は停電、通信は寸断され、状況把握すら難しい中で、社員は供給責任を果たすべく奮闘していた。当社を含め当時の関係者は「やるだけやろう、やらずに後悔したくない」の気持ちで遮二無二取り組んだ。 当社がまず真っ先に行ったのは「在庫確認」であった。現地社員の人的被害はなかったものの、落ち着かない状況の中、無理を承知で当社生産管理部は震災の翌日の土曜日に出勤を要請、全点棚卸を実施した。工場停電の中、棚卸データを作り、PCも使えなかったため現地社員はコンビニからファクスで棚卸データを当社に送信、このファクスを受けて当社では在庫から枯渇状況を確認した。在庫が1カ月以内に枯渇する部品に対しては翌日から代替品を当社生産管理部が手配、他社部品への切替準備を進めていった。 マルコンデンソー社員の中には被災した者も多く、自宅の片付けや家族の対応もある中でも、互いに支え合いながら会社のBCP対応に尽力してくれた。その努力のおかげで、被災から3日後には稼働再開にこぎつけることができたのである。32東日本大震災での事業継続 2011年3月、東日本大震災直後は多くの企業が事業継続を図りつつ想像を超えた困難に直面していた。震災の2日後、デンソーグループ内において当社の供給枯渇リスクが最も早く顕在化した。仙台空港が水没したことで、東北地方にある取引先からアンデンタイランドへ送られる部品が水びたしになってしまうという緊急事態に対し、当社は社内在庫をアンデンタイランドへ空輸しバックアップしたが、それにより自社の在庫がひっ迫したのである。最終的には着手していた代替品の手配を加速し、なんとか車両生産ラインの停止は回避できた。

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